2006年2月 カムチャッカ厳冬の旅9

2月26-27日:ハバロフスクから日本へ


2/26(日)
朝5時半起床。
昨日の話では8時に来ればいいとのことだけど、
7時という掲示板表示が気になったので、6時半頃ホテルを出る。
6時に起床電話をしてもらって、
昨日親切にしてもらったお姉さん(朝から美人)に
チェックアウトとタクシーを呼んでもらって出発。

空港に7時についたが、人影はぽつぽつ。 暇なので会話集を片手に掲示板を訳すと、 どうやら7時に次の情報と書いてあるようだ。 なーんだ。 自動販売機でコーヒーを買う。 甘い! ホテルの冷蔵庫から購入したチョコパイを食べる。 これまた甘い!! 胸焼けして、なにもすることもなく、ぶらぶら。 椅子に座ったり。 さすがにこれ以上何も食べる気がしなかった。 8時過ぎ。 外国人用の窓口が開いた。 昨日の彼女は居なかったが、別の人に事情を話した。 で、今の状態を訪ねると11時まで情報を待つとのことだった。 とりあえず待つか、と思いながら、 またもぶらぶら。 もう、読み返す本もない。

9時半頃、いろいろ知りたい情報整理して再び受付へ。 まず、今の情報は?と聞いたら何もまだ分かっていないとのこと。 で、次。 今日、予定されているウラジオストック発新潟行きは 時間通り出るのか、ということ。 分からないでも聞いてくるわ、と別の窓口まで行ってくれた。 で、いろいろ調べた結果、ウラジオストックはまだ天気が悪く、 飛行機の予定が立たないとのことだった。 もう一つ質問。明日のハバロフスク発新潟行きは十分席があるか。 これは十分あるとのこと。 その後、彼女は幾人かの外国人のチェックインの手続きをした後、 さらに情報を聞きに別のところへ行った。 もう、この時点で 僕は月曜日にハバロフスクから帰る便に変更しようと思った。 昨日も、最後の最後で変更して迷惑をかけたので、 今日は早めに自分の意志を決めてしまおうと思った。 その方が、シンプルで楽だ。 彼女が戻ってきた。 彼女も、ハバロフスクから発つ予定に変更した方がいいと言った。 飛行機の中に預けっぱなしになっているザックを ピックアップする必要があるのだけれど、 まず、チケットを買うことにした。国際線の方へ歩いていった。

国際線の建物が分からず いくつか別の建物に入っては、教えてもらい、国際線のロビーへ。 チケットオフィスへ行くとちょっと小太りなおばさんが笑顔で迎えてくれた。 年配の割に英語が上品で上手で、無事チケットを気持ちよく購入。 片道330ドルだった。 国内線へ戻り、いつものオフィスへ。 自分のリュックサックを飛行機からピックアップしてもらって、 受け取って終了。 昨日と今日の彼女には本当にお世話になりました。 いつの日かお土産を渡したい。

空港からアメジストホテルに電話するが通じず。 困ったと思いながら、外に出ると「タクシー?」と聞かれる。 うん、でもその前に電話したいんだホテルに、 というと運ちゃんが電話してくれた。 で、ホテルまでいくら?と聞くと500pだと。 朝300pだったよ、というと アメジストは近いからだ、という。 じゃあ、どこへ行くんだよと聞くと、 インツーリストホテルだと。 誰もそんなこと頼んでいないでしょ。 おそらくそっちの方が安くいろいろ施設があるはずなんだけど、 そのおっさんのペースでものを進めるのもむかつくので、 まずアメジストへ行ってくれ。 だめだったら、インツーリストへ行こうとなった。 で、アメジストへ。 今朝のお姉さんはもう居なかったけど、 無事、お部屋がとれました。 運ちゃんに結局400p払う。 明日の朝も来るっていうから、 いくらか?と聞くと400pだという。 ホテルで頼むと300pだから来なくていいというと、 分かった300pでいいと言うことになった。

明日時間通り10時に来ていたら350p払ってあげよう、 なんて思ったりしながら、チェックイン。 さっきのやりとりを思い出し、 結局僕に感心があるのは、 僕からお金を儲けようとしている人だけなのか、 なんて親切にしてもらったことなど忘れて考えたりしていまう。 お部屋に入り、 カムチャツカから買ってきた、いくら、サーモンを冷蔵庫に入れ、 日本に電話。 この部屋は、プッシュ回線なので、 KDDIのプリペイドカードが使えた。 かみさんへ一日遅れる連絡。 で、全日空へ今日の新潟ー札幌便の変更を連絡しようとするんだけど、 海外からチケットホルダーに書いてあるフリーダイアル、 有料ダイアル(0570から始まるやつ)どちらにもつながらない。 そういう情報を持ってこなかったのは、失敗だった。 日本のボスの形態に連絡して変更をお願いする。 ボスも関西から札幌へ向かう飛行機に乗るために 空港へ移動するバスの中だった。 小声で話している相手に、こちらも小声で話す。 こっちが小声で話す必要なないのに。 で、やってくれるとのこと。頼りになる。

腹ぺこなので昼ご飯を食べに外へ。 ロシア最後の日なんだけど、お米を腹一杯食べたくて、 地球の歩き方に乗っていた中華料理へ。 ここはアムール川の近くなのでぶらぶら数分歩いて到着。 入り口にアジア系の兄ちゃんが居た。 用心棒か?と思って話しかけると、 どこから来た?なんて話しかけてくる。 昼ご飯食べるんだけど、というと 行こう行こうとついてきた。 あら? お店の人じゃないんだ。 食べ放題だし、ま、いいか、 と思って二人分払う。 一人160pだったかな? で、トレイにチャーハンとか野菜炒めとかサラダとか乗っけて、 お茶を持ってきて食事。 いろいろ話す。 この男の身なりは、レゲイのような帽子を被っていて Tシャツも変な重ね着している。 タイ出身で、両親はニューヨークに住んでいる。 今はハバロフスクでモスクワから友達が来るのを待っている、 とのこと。 英語だけじゃなく中国語や朝鮮語も分かるそうで、 ロシア語は分からなくて、 この町はロシア語しかないからつまらんとか行っていた。 見た風貌通り、都会の生活に慣れているようで、 夜な夜なクラブシーンを接見している(古い言い方?)ようだ。 日本にも友達がいるそうだ。 彼の名前は「あきら」という。 両親が黒沢監督のファンだったからだろうと言っている。 見た目通り、ラッパー系で、会話もちょっとちぐはぐ。 あきら「そこにきれいな教会がある。」 まと「向こうにも教会あるけど行ったことある?」 あきら「確かに教会は二つある。俺の心にも」 まと「ふーん。そうなんだ......」 まと「そんな格好で寒くないの」 あきら「寒くない。俺は我慢できる。いや、我慢しなければならない。」 まと「ふーん。そうなんだ......」 多分最後の僕の相づちは間違って居るんだろう。 「そうなのか、おまえクールだな。チェケラッチョ」 ぐらい言った方がいいのかもしれない。 まあ、会話は万事、そういう感じ。 かみ合っていないようないるような。

今日の僕のなりは、 眼鏡をかけて、ボタンダウンのコールテンのシャツを ジーンズの中にぴったり入れた格好だから、 周りから見たら変な組み合わせなんじゃないだろうか。 ひとしきりの会話のあと、 どうやってこいつと別れるか?と考えていた。 まあ、ラッパーだから孤独を理解できるだろうから、 この後はお互い一人でね、 といって理解してもらえるだろうと安易に考えていた。 だが、お店を出てからそういうと、 なんだかんだと言いながらついてくる。 写真を撮ろう、あの建物の前で、 と言うから、 じゃあ、川の前にしようと言って、 アムール川をバックに記念撮影。 横にいたロシア人のおばさんにお願いして撮ってもらった。

アムール川の前でアキラと

そのあと、僕は博物館へ行くからじゃあね。
といってもついてくる。
博物館の前で、じゃあなというと、
メモをくれと言いだした。
メモを渡すと
ぐじぐじ言い出しながら、
なにかしら詞を英語で書き出す。

で、どういうこっちゃと思って見ていると、

ウラジオストックに旅立つセイラーの俺には、
いくらかの金があるけど300ルーブル足りない、

とか言い出した。
そういうことか、
まあ、若いし苦労しているんだろうか...

ウラジオストックに飛行機で行くのか?
と聞くと高いから汽車で行くんだと。
まあいいや。300pあげるよ、
といって財布を出すと、人が見ているからいやだという。
そうだろうな。恥ずかしいもんな。警察もいるし。
で、少し歩いて、財布から300p出して渡す。

お金を渡しながら
「ウラジオストックの意味知っている?
東を征服しろっていう意味なんだよ。
おまえも東を征服してビッグになってくれ」
なんて、格好いいことと言おうとしたら、
話しの途中で「分かった分かった」なんて言いながら、
話をおしまいにしたいようだ。

で、突然、
「おまえの財布の中、なんで日本のお金が一杯あるんだ?」
とか言い出した。
ちょっとやばいなあ。
こいつムエタイやっているって言っていたし、
蹴られたら意識飛ぶよな。と急にびびってしまった。

「じゃあな、グッドラック」
と切り上げて、
別れて極東博物館へ。
博物館の一階は退屈な動物の剥製ばっかりだったので
歩きながらさっきのことを思い出したりして、
「結局、僕に気を回してくれるのは金目当てのやつだけか」
なんて思ったりもする。


撮影が禁止されているのに、 写真をばかばか撮っているアジア人にむかついたりもする。 この博物館は二階以上の展示が素晴らしい。 特に、現地人(アイヌとかコリヤーク)とかの展示が面白い。 衣類がとても面白かった。 鮭の川で服とか鞄が作ってある。 その鞄なんだけど、実用的なことだけ考えれば、 ただの袋だけでいいはずなんだけど、 この鞄はわざわざ色の違う魚の皮を組み合わせて、 模様を作り出している。 実用以外のおしゃれなデザインなのだ。 これに気づいてほかの服とかも見ると、 実に多様な服飾デザインがある。 素晴らしい。 生活するだけで精一杯というのは僕らの思いこみで、 実におしゃれさんなのだ。 鞄は女性のハンドバッグみたいなものだったんじゃないかな。 と、グリーンランドのエスキモー村へ行ったときのことを思い出す。 僕がちょっと袖口が汚れていたり、ボタンが取れていた服を着ていると、 エスキモーの女性は、すぐそれを見つけて、 服を洗いなさい、ボタンをつけてあげようか、と言ってくれた。 カムチャッカやハバロフスクの子供は袖口がほつれたまま歩いていたりする。 僕だってそうだ。どっちが豊かかって決められない。 ほつれたらすぐ買える環境にあるのと、 ほつれているのを気づいて、繕うことができる気遣いがあるのと。

じっくり楽しんだ後、そとにでたらアキラはもう居なかった。 せっかくなのでアムール川のそばまで降りてみる。 やっぱ寒い。凍ってるんだもの。風も冷たい。 で、いい感じ。 でも、長く見ていられないので、町へ戻る。

アムール川沿いの教会

途中、デパートで絵本を買い、
おみやげ屋でロマノフ柄の食器を買い、
スーパーでビールと食料を買ってホテルへ戻ろうとした。
でも、もうちょっと買い物が必要だな。
歩いてみよう、とホテルを通り過ぎて道沿いに行くと、
大きなオープンマーケットがあった。


そこでは露天でアジア系の人たちが服とか雑貨を売っている。 その中心にある建物は市場だった。 中に入ると、魚やら肉やら野菜がいっぱい売っていた。 こういうところは本当に楽しい。ぶらぶら見て回る。 サラダが欲しかったので、 サラダを売っているお店の中で一番かわいい娘のお店で買うことにする。 ならんでいると僕の前にいた白人とアジア人系の家族が ごにょごにょ文句言いながら買い物をしていて、全然順番が回ってこない。 しばらくほかを回って戻ってくると誰も客がいなかった。 「ズドラーストビーチェ」と話しかけると、 かわいいアジア顔の店員が朝鮮語で話しかけてきた。 「??」という表情を見せると中国語で話しかけてくる。 「ニエット・イポンスキー」というと 「こんにちわ」と言われ、いくつかの日本語を話しかけてきた。 横にいたロシア人のおばさん店員が「彼女すごいでしょ」(多分) と言ってきた(気がしたので)「ハラショー」と答えた。 で、このサラダとこのサラダをください。 「チュチュ(ちょっとね)」と言うと、笑ってくれた。 帰り際に、日本語で「がんばってください。」と言われた。 うん、めげずにがんばるよ。 でも、あなたは、ここでもっと頑張っているよね。 がんばってね...... なんて複雑なことは、とても言えないので、 そういう表情でうなずいて別れた。 ホテルに戻って、風呂に入って、冷えた体を温め、 買ってきた食材で夕食にした。 寒くて疲れていたからか、あっという間に眠くなってしまって、 大きなダブルベッドで眠った。

2/27(月)

8時前に起床。顔を洗って、朝ご飯を食べに一階のバーへ。
カッテージチーズのクレープ。
まあまあ。
ナターシャの作ったやつの方が断然うまい。

荷物を整理して、9時半頃階下へ。
チェックアウトしてタクシーを待つ。
10時ちょっと前に窓の外に、
昨日のおっちゃんが来た。

荷物を持って外に出ようとすると、
おっちゃんが入ってきた。
「ドブラウトラ(おはよ)」と言いながら、おっちゃんは握手してきた。
で、僕の荷物を持ってくれてタクシーに積み込んでくれた。
運転しながら
「家は新潟か?」
「札幌だよ」
「札幌か知っているよ」
なんて話をした。

昨日は車の中で、支払いのことでごちょごちょしたのに、
そんなことを全然気にしていないようだった。

前日から迎えに来る人が決まっていることは、
とても気持ちが楽だった。
で、時間通りに僕を迎えに来てくれて、
笑顔で出迎えてくれて、
親切にしてくれた。
なんて嬉しいことだ。

僕は、昨日決めた代金に上乗せして、
結局、彼が最初に言い出した400pを払うことに決めた。
外は太陽が出て明るくなってきた。
ラジオではビリー・ジョエルがご機嫌に歌っていた。




終わり


一日目(ウラジオストクへ)へ
二日目その1へ(ウラジオの朝)へ
二日目その2へ(カムチャツカ到着)へ
三、四日目へ(温泉三昧)へ
五、六日目(オホーツク沿岸の街)へ
七、八日目(ロシアの男の休日)
九、十日目(最終日)
ウラジオに到達せず


Home Page