2006年2月 カムチャッカ厳冬の旅6

2月22-23日:ロシアの男の祝日


2/22(水)
23日はロシアの休日だそうだ。
国を守る男の人のための休日だそうで、
その前後の日にいろいろな行事がある。
今日はムラさんの職場でそういうパーティーがあるそうで、それに参加。

その前に、ナターシャがなにやら職場で試験があって、
その途中に僕に日本語で電話をして、
日本語もできるのね、という一芝居を打つ約束があって、電話をした。
おきまり通りのお話をして切る。いいのか?こんな小芝居で。

その後、14時からパーティーへ。 職場の女性から、それぞれの男性に表彰状が送られて、乾杯乾杯。 別の部屋にも移動してこれまた乾杯乾杯。 踊って呑んで笑って踊って。 もう、途中から何も覚えていない。 気づいたらお部屋に寝ていました。 誰かに迷惑かけたんじゃないだろうか。 ちょっと心配と反省。 かすかに覚えているのは、 かなり古参のスタッフの人の話。 僕にとつとつとした英語で話しかけてきた。 どうやらシベリアへ抑留された日本兵士のことを言っていた。 道ばたにたくさんの日本の兵士が倒れて死んでいったと。 一週間前に訪れたウラジオストックの寒さと冬の寂しさを思い出して、 涙が止まらなかった。彼も泣いていた。 周りから見ると不思議な光景だったろうけど、 話から逃げてはいけない気がした。


2/23(木)
朝は、もう、むかつきとアタピー。
はあ、あんなに飲むんじゃなかった。
ムラさんに何も覚えていないんだけど、なにかやらかした?
って聞いたら、何もなかったよ、って言ってくれた。ちょっとほっとする。

シャワーを浴びて何とか頭を起こす。
午前11時から、お金の支払いに関するミーティングなのだ。

動かない頭を抱えて、水文研究所へ。
お金の支払いについて丁々発止の交渉をしなければならないのに、
もう体調面で敗北している。

で、約束の11時になってもなかなか向こうのボスが現れない。
もう、なにしてんのよ。サブボスとナターシャと雑談していると、
時折、こみ上げてくる酸っぱいもの。
ああ、やばい。吐きそう。


12時過ぎボス登場。こちらの現状と作業の現場、
みなさんによくやってもらっている感謝を伝える。
それとともに現状を維持したいとの希望を出す。
向こうもこちらの現状(僕の体調?)を理解してくれたのか、
僕にさらなる支払いを決める権限がないと判断したのか、
とりあえず現状のままでOK。

そのあとロシアのインフレが深刻で
公務員の給料も5月に11%あがる予定なので
次回はその分の増加を期待するとのことを聞く。
とりあえず、僕は情報を持ち帰るということでこの場はおさまった。
インフレの問題はよく分かるんだけど、
ドルで払っているのにドル立てでも増加する必要があるの?
ということは、ルーブルがどんどん円に対して強くなっているってことだよな。

とりあえず話が終わった時点で、じゃあ、コニャックで乾杯...
もう、どうなっても知らんぞ。

で、なかなか到着しない赤十字の人がやっときてくれて、雑談。
あー、
早く本題に入って終わろうよ。
またもこみ上げてくる酸っぱいにおい。

で、車代を払って、雑談して、終了。
ああ、よかった。ナターシャと歩いて帰って、
今日はどうもねーとお別れ。
見送った後を見越したように、こみ上げてきたものが噴火。
カムチャッカの雪は
僕から吹き出した紅茶とコニャックの色に赤く染まりました。

ムラさんの部屋に戻って、
「もう、僕ほとんど死んでいます」と告げて、ベッドへ。
むかつきつつ眠りへ。
ムラさんが仕事から戻ってきたときにはちょっと回復
朝から何も食べていないので、おなかも空いた。
ムラさんが作ってくれた
ジャガイモ料理と子持ちエビの茹でた料理、
ペリメリを食べながら、他愛ない話。
でまたもウォッカを5、6杯飲んで、撃沈。
今日は二度死んだ...って「復活の日」か



一日目(ウラジオストクへ)へ

二日目その1へ(ウラジオの朝)へ

二日目その2へ(カムチャツカ到着)へ

三、四日目へ(温泉三昧)へ

五、六日目(オホーツク沿岸の街)へ

七、八日目(ロシアの男の休日)

最終日と出発の日(お土産買って日本へ)へ


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